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2014年12月 2日 (火)

N-1

  ペーパークラフトロケットシリーズ,今回は
1/100スケールペーパークラフトによる N-1 旧ソ連による有人月着陸計画に用いられるはずだった巨大ロケット,N-1.型紙は “currell.net”から.
  第二次世界大戦が終了した後,米ソ両国は激しい宇宙開発競争に突入して行った.そして,人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功,「ボストーク1号」による世界初の有人宇宙飛行と,その「序盤戦」はソ連の連戦連勝であり,アメリカとの差は歴然であった(「ボストーク1号」に遅れること3週間,アメリカも「マーキュリー・レッドストーン3号」によって初めての有人宇宙飛行を成功させるが,「ボストーク1号」が地球周回軌道飛行だったのに対し,「マーキュリー・レッドストーン3号」は数分間の弾道飛行であった).
  その「連戦連勝」の立役者だったのが,ロケット開発指導者,セルゲイ・コロリョフであった.N-1ロケットの開発はそのコロリョフの提案のもと1956年から始まったが,当初は月・火星への有人宇宙船や宇宙ステーション,大型軍事衛星の打ち上げを目指したものだった.しかし,1961年5月にアメリカが月への有人着陸計画を発表,これに対抗するために,N-1ロケットはソ連の有人月着陸計画「ソユーズL3計画」に用いられるロケットとして開発が進められることとなった.
  開発は難航した.1958年にNASAを設立,総力を挙げてサターンロケット(/ⅠB/)の開発に邁進して行ったアメリカに対し,ソ連ではロケット開発を一本化せず,複数の開発局で競争させる方針をとったために予算が充分に確保できていなかった.アメリカがサターンロケットの飛行試験,無人・有人でのアポロ宇宙船の地球周回軌道飛行を成功させている中,充分な時間すら残っていなかった.そのため,N-1ロケットの開発にあたっては,可能な限り既存の技術を活用するという方針がとられた.その結果,第一段には30基のエンジンを束ねるという,常軌を逸しているともとれそうな(30基の液体燃料エンジンを同時に制御するのは,現代の技術をもってしても困難であると言われる)設計になった.さらに,かつてはソ連ロケット開発の両輪であった,セルゲイ・コロリョフとエンジンの設計者ヴァレンティン・グルシュコは既に敵対関係にあり,コロリョフその人もN-1ロケットの完成を見ることなく1666年1月にこの世を去ってしまった.
  コロリョフ亡き後,彼の後をヴァシーリ・ミーシンが引き継ぎ,幾多の困難を乗り越えてN-1ロケットが遂に完成した.しかし,1号機が発射台に据えられたのは1969年2月,「アポロ11号」打ち上げのわずか5ヶ月前のことだった.これまでにアメリカはアポロ8号による有人月周回軌道に成功しており,「月レース」の勝敗はもはや目に見えていた.しかし,一縷の望みをかけ,その差を一気に縮めるべく,N-1ロケット1号機には,月着陸船が模型であったことを除き,70tにも及ぶ予定の全てのペイロードが搭載されていた.そして,無人のL1S宇宙船は月を周回,カプセルを地球に帰還させるはずだった.初飛行でいきなり月を目指したのである.
  しかし,運命は残酷であった.2月21日,月を目指し,轟音を残して発射台を離れたN-1ロケットであったが,発射からわずか68秒後に第一段の全エンジンが停止,その1.3秒後には地上からの司令で爆破された.
  若干の改良が加えられた2号機の打ち上げが行われたのが同年7月3日深夜(バイコヌール時間では翌4日).全世界の目が打ち上げ間近のアポロ11号に注がれている中,ソ連にとっては,もはや敗北は決定的な「月レース」に,せめて一矢報いる最後の機会であった.
  ここでもまた,待っていたのはさらなる悲劇でしかなかった.異常が発生したのは点火からわずか0.25秒後のこと,その後,一基のエンジンのターボポンプが爆発,エンジンを制御する“KORD”システムにより全エンジンが停止して,機体は傾きながら発射台に逆戻りを始めてしまった.発射から間もない時間であるために,機体は燃料・酸化剤ともに満載状態であり,発射台に激突して大爆発を起こした.ロケットの事故としては史上最大,核爆発にも匹敵するとさえ言われるこの爆発は凄まじく,軍事衛星でその閃光を捉えたアメリカでは,北米防空司令部の警報が鳴ったという.この爆発により,発射台も深刻なダメージを受けてしまった.宇宙開発競争において,かつては連戦連勝を誇ったソ連であったが,その最終局面,アメリカのアポロ11号打ち上げを目前に,対抗する機会も,手段も,全てを失ってしまったのであった.
  そして,同年7月16日,アポロ11号を載せたサターンⅤ型ロケットが地球を飛び立ち,21日,ニール・アームストロング船長が,月面に人類の第一歩を記した.ここに,「月レース」におけるソ連の敗北が決定したのである.

  その後もN-1の開発はしばらく続けられた.

  3号機の打ち上げは,アポロ11号の月着陸から2年後の1971年6月21日.この機体は,過去の失敗に対する様々な対策が施されていたが,打ち上げから52秒後に爆発,またしても失敗に終わってしまった.
  さらに改良が加えられ,「最初の発展型」とも言える4号機が打ち上げられたのは1972年11月23日のことであった.この機体は,過去3回よりも長く飛行することができたが,打ち上げから107秒後,やはり爆発してしまった.これは,第一段の燃焼終了まであと一息というところであった.
  ヴァシーリ・ミーシンの後を継ぎ,ソ連宇宙開発のトップの座についたのは,あのヴァレンティン・グルシュコであった.この頃までに5号機および6号機はほぼ完成していたが,グルシュコによってN-1開発計画の中止が宣言され,これらの機体は打ち上げられることなく廃棄されることとなった.こうして,全長105m,総重量2735tの巨大な「月ロケット」は,月はおろか宇宙空間にも到達することなく,第二段のエンジンに点火,第一段を切り離すことすらできないまま,宇宙開発の舞台を去った.順調に行っていれば月まで宇宙船を送り届けるという栄光を担うはずだった機体の一部は,現在はバイコヌール宇宙基地周辺の貯水タンクや公園の屋根などに姿を変えて残っているとのことである.

  ・・・

  というわけで,「赤い月ロケット」の登場である.
  いろいろと知識としては知っていたのだが,模型を作ってみると,
「いやはやよくもまぁこんなロケットを作ったねぇ」
というのが正直な換装もとい感想.

  まずはそのゲテモノっぷりがたっぷり味わえる第一段のエンジン部分.
N-1ロケット 第一段エンジン部分 いやはやどうも・・・

  「大火力ケロシンコンロ!」

  こんなのを飛ばそうと考えたのもなかなか凄い(いろんな意味で).
  展示の際はほとんどの場合立てて展示するので,この部分をなかなか見てもらえないのが悩みのタネ.

  ちなみに,ロシアのロケットは横倒しの状態で射点まで運び,そこで立てている.この,全長105m,総重量2735tの巨大ロケットも例外ではない(その状態の実機の写真も残っている)ので,これだけの巨体をこのまんま立てたわけだ.立てる作業の途中,斜めになった状態ってめっちゃ不安だったんじゃないんだろうか?(ちなみに,アメリカでは普通立てた状態で組み立て,そのまんま射点まで移動する.それはそれで大変なんだろうけど)

第一段全景↓.
N-1ロケット 第一段 下部に行くにしたがってだんだん太くなるのが大きな特徴.そして謎なのが4枚ついている「エアロ・ブレーキ」.一説には,打ち上げ時に不具合が発生した場合,乗員が脱出する際に,僅かな時間下段を安定させ,さらに減速させるため・・・ではないか・・・とも言われるのだが・・・なにぶんにも一度も使われていない・・・というか,一度も必要になる事態になっていない・・・いや,必要になる可能性のある状況にすらなっていないので良くわからない.

第一段〜第二段,段間のトラス↓.
N-1ロケット 第一段〜第二段 段間のトラス ロシアのロケットは,第一段を切り離す前に第二段に点火する設計になっていることが多いので,段間がトラスになっているものが多い.これもその一つで,ここを第二段の噴射炎が通り抜けるはずだったのだが・・・
  それにしても,コイツは図体がデカいので,こういうトラスも強度を保ちつつ美しく仕上げるのはとっても大変.

  第二段もやっぱりコンロ.ここにも8基のエンジンが束ねてある.
N-1ロケット 第二段エンジン部分

  第二段↓.第一段をそのまんまスケールダウンした感じか.
N-1ロケット 第二段
  第二段〜第三段,段間のトラス.
N-1ロケット 第二段〜第三段 段間のトラス 当然ここも,第三段の噴射炎が通り抜けることはなかった・・・

  第三段エンジン部分↓.
N-1ロケット 第三段エンジン部分 さすがにここまで来ると数は減るが,やっぱり4基のエンジンを束ねてある.

第三段↓.
N-1ロケット 第三段 これまた第二段をスケールダウンした感じ.

  そして,先端のフェアリング部分↓.
N-1ロケット フェアリング この部分もかなりデカい.ここには,実際にペイロードが格納されて打ち上げられたわけだが,その「中身」が外に出ることはなかった.

  一番先端に取り付けられたLES↓.
N-1ロケットのLES 宇宙飛行士が搭乗した上で,打ち上げ時に不具合が発生した場合,この装置を利用して脱出する設計になっていたのだが,当然実際に宇宙飛行士が搭乗することはなかったわけで・・・

  最後に,サターンⅤ型ロケットと並べて一枚.
サターンⅤ型 と N-1 同様の目的をもって開発され,同じような大きさ,同様の性能を持つはずだった2機.しかし,現実は方や成功率100%,方や0%.人類初の有人月着陸船を運んだロケットとして世界中の人々に知られたロケットと,長らくひっそりと忘れ去られていたロケット.
  栄光と挫折をこれほどまでに象徴しているものは,他を探してもなかなか見つからないだろう.

  実はコレ,作るのがあまりに大変そうなので,私自身「ずっと逃げていた」モノ.
  3年前(2012年)の国際航空宇宙展でペーパークラフトのロケットを展示させて頂いた折,かなり好評だったのだが,「N-1はないんですか?」と言われ,ネット上でも「N-1はないんだね」「N-1も仲間に入れてほしかったなぁ」といった声が散見された.で,昨年,倉敷科学センターでの展示が始まった頃,
「もういい加減逃げていられないか・・・」
と思って作り初めたのであった.ただし,「根を詰めたら挫折する」とも思ったので,ちんたらと,ISSや他のロケットを作る合間にだらだらと,つごう8ヶ月かかって完成したのだった.
  本来1/144の型紙を1/100に拡大して作ってあるのだが,これが細かいこと!1/144で作ったらさらに大変だったろうなぁと思ってみたり.

  これでサターンV型サターン INT-21,そしてN-1が揃い,当分こういうオオモノを作ることはないはず.

  SLSが登場するまでは・・・

完成写真の大きな画像はこちらからどうぞ.→N-1

ロケットのペーパークラフトは是非↓こちらもご覧ください
PASA : Papercraft Aeronautics and Space Administration

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