« 土星 | トップページ | H-II »

2011年4月15日 (金)

巨大な目

  大地震発生後,しばらく休止していた天体写真撮影を再開,短い時間ながら,2日続けて撮影に取り組んでみた.
  昨日も,「さぁ今晩も」とは思っていたのだが,いつ大きな余震が起こっても不思議ではないと言われている状況下,あんまり疲労を蓄積してしまうというのもよろしくない.
「今晩はサボって休もうか」
なんて考えていたら,夕方は薄曇りだった.

  やや帰宅が遅くなった(職場を出る直前,緊急地震速報が発表された.最初は「M7.5」と発表されたのでドキッとしたが,思いっきり誤報で,最大震度は3.水戸では「揺れたかな?」という程度だった)が,帰宅した頃,見上げた空では,月の見事な暈がかかっていた.
「む,今日はこれを撮ってやるか」
さっそくカメラを持ち出して撮影.
月の暈 撮影失敗 「あ゛,これでも全部入らないのか」
手持ちのレンズの中で最も広角のレンズでも全景が入りきらなかった.

ならば!

ということで,いつもは全天の撮影に使っている全周魚眼レンズを取り出し,真上ではなくて月に向けて一枚.
月の暈 2011年4月14日 (クリックで拡大,600 × 600 pixel,61kb)
む,結構面白い写真になったかも.薄雲と月,そして暈が絶妙な配置で,まるで「巨大な目」のようだ.自然の造形ってのは面白いねぇ.

 

「自然が偶然に作る形って本当に面白い」と思う方,こちらをクリックして共感の投票をお願いします.→にほんブログ村 写真ブログ 天体写真へ

|

« 土星 | トップページ | H-II »

天体写真」カテゴリの記事

コメント

ふーむ。なかなかおもしろい写真ですね。
すぐに、ルドンの絵画を想い浮かべました。ルドンは「目」を描き続けた画家す。ルドンは1840年、ボルドー生まれ。わたしのもっている画集の年表によると、同じ年、アヘン戦争がおき、ロダン、モネがうまれるとあります。
1848年、ゴーギャンがうまれ、二月革命がおきる。1852年にルイ・ナポレオンが皇帝になり1859年、ダーウィンの「種の起源」。イタリア統一戦争はじまる。・・・・
画集を開くとき、あんまりよけいな事項は考慮しないで、作品だけを眺めるのですがルドンの絵画は、きわめて特異で、夢をテーマに作品化することもあるわたしには、アンドレ・ブルトンの「シュル・レアリスム宣言」運動を、わりあい深く勉強してきたのですが、それに先行する画家のようにおもわれます。1861年アメリカ南北戦
争、1864年トルストイ『戦争と平和』、1868年日本、明治維新。・・・
と、つらつら書き連ねたたのは、激動期、今までにない新しい価値観が生まれるときというのは、内向的な魂をもった人には、埋もれた無意識の層にも(つまり人間の内面深く)で、地殻変動がおきるのではないか、と考えたからです。
中川さんの写真から、かってにどんどん連想して、ルドンの不気味とも思える大きな目の絵は、魂の地殻変動の果実、ではないか、と。・・・
なにか評論家みたいになってしまったけれど、わたしは自分が絵を描いたり、詩を書いたりすることが、いまだによくわからないのです。わたしとはなにものか、がよくわからない。
普段は、どこにでもいるクソ婆一年生なのですけどね。
いろんなことを考えさせられる、たいへんおもしろい写真です。

で、昨日のつづきの、わたしの詩篇。

第十三章 冬の裸形

ひっそりと
たたずむ
冬の裸形
あらわに
言葉
散らして
凍る指

線刻される
光の柱
雲をついて
旋回する
ツグミの群れ
羽ばたきが
空を
切り裂く
寂しさを
正業として
きょう
いちにちは
野に立つ
羅針

指し示す星
わたしもひとつの
太陽系秩序
大地を身ごもった球根だろうか
水仙花
香る
畑に
鍬をふるう
あれっ
こんな枯れ草のあいだに
銀河の
破片
たんぽぽ
小春日の斜面
あでやかに
あかるんで

今年の秋の絵画の個展にむけて、構想をねりだしたところです。
ちなみに、昨日3月15日は、福島小名浜
原発の場所で、生まれた吉野せい、さんのお誕生日でした。「洟をたらした神」
で、すぐれた百姓女の文学を残された方です。吉野せいさんは明治32年、4月15日、福島県石城郡小名浜町下町の網元の家に、父若松力太郎、母ミエの次女としてうまれる。父力太郎は、鉄五郎・誠三郎と引き継がれた漁業の三代目にあたる。
と年譜にあります。
おおい、雲よ、の山村暮鳥と室生犀星のおこした文学誌に、17歳のときに短歌を投稿。22歳、詩人の三野混沌と結婚し、生涯にわたって、暮鳥と深い交遊をむすびます。それにかかわってくるのが蛙の詩人・草野心平さん。心平さんの紹介で、岡山の詩人・永瀬清子(女性詩人のくさわけですが)さんが、宮沢賢治を知り、「雨にも負けず・・」の詩は、賢治没後の追悼集会(新宿モナミ)で、トランクのポケット袋から、永瀬さんら数人によって、はじめて発見されたものです。

福島原発事故の経済の失速を多くの人が心配しますが、わたし、詩人の端くれとして、どれほど深い傷を、日本文学にあたえたか、わたし、いま歯をくいしばって、嗚
咽をこらえながら、指を震わせています。

永瀬清子は、わたしが「おばあちゃん」とよんで、かわいがってもらった詩人です。
阪神大震災の一ヵ月後が、ご葬儀でした。

中川さんのお写真、ルドンとはちがって、やさしい自愛にみちた、天空からのまなざしのように感じられます。
おばあちゃんたち先達詩人が、ゆりこ、がんばれ、と言っているようにも・・・

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年4月16日 (土) 02時40分

朝になって、コメント欄を再確認したら、今度はすこし、誤字がありました。空からの「自愛のまなざし」は「慈愛のまなざし」です。
おばあちゃん、永瀬清子は、自己愛も強かったけれど、(それは草分け女性詩人としては、当然のこと。文学は、一部、不良青年の、役立たず、ならずものの生業と想われていたのですから。男達がそうなら、女である永瀬さんへの風あたりは、そうとうなものだったでしょうから。)とても慈愛に満ちて、自分のことを後回しにしてでも、周辺の人々に尽くされる方でした。
「雨にも負けず・・・」はその当時、多くの詩人からは、「詩」ではない、とあまり評価されなかったのです。
おばあちゃんは、反対に、これこそ「詩」である、と確信したそうです。
自分の生き方に苦悩しながら、詩を書いて
いたので。
で、おばあちゃん達幾人かの尽力で、だんだん世の中にひろまっていった、とのこと。その当時のあれこれ話を、どっさり教えてくれました。
慈愛です。念のため。

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年4月16日 (土) 07時53分

今度もまたびっくりしました。
昨日は、だいぶ感情が激昂して、すみませんでした。ずっとこらえてきたものが、吉野せいさんの誕生日の日に、「大きな目」の写真だったので、ついつい今はみんな天空にいる人たちを思い浮かべてしまったのです。阪神大震災のときに、師を亡くし、どれだけ泣いたか、わかりません。半年後に盲目で痴呆をわずらっていた母を亡くしたので、もうどれくらいの間泣いていたのか・・・
それからは、あんまり泣くことがないのです。家が全焼したときも、呆然として、のりこえるのがたいへんでしたが、泣けませんでした。それから何年かして、四人目の友人が自死し、そのときは、さすがに精神のバランスをくずしましたが、だんだん泣くことがなくなってきています。
年齢のせいもあるかもしれません。今回の地震、といっても、毎日が地震つづきで、
奈良にいても、ひやひやものですが、泣くことなどなかったのに、昨日の「大きな目」には苦しかった過去がふきだしてきて、とりみだしてしまいました。それにやっぱり、福島原発事故、大きくしっかり目を見開いて、なりゆきを注視しておこう、ときめたので、今まで泣くことなどなかったのです。

この秋、絵画展をする期間中に、詩の朗読会をしようと、決断しました。山村暮鳥や吉野せいさんや、草野心平さんや、の詩や作品のなかから、わたしが人々に伝えておきたいものを朗読して、加えてわたし自身の作品も声にしてみることにきめました。
それで、著作権のこともあるので、群馬の前橋文学館にご遺族のことをお尋ねする電話をしたところです。
ただやはり、茨城のほうの文学館は閉鎖中で、すぐにはご遺族のかたに連絡がとれません。また避難所のほうにおられるのかも
わからない、と前橋の館のかたは、おっしゃっていましたが。・・・
まだ秋には時間がありますので、どうにかして、ひとつづつクリアしていきましょう。

今夜もまた、びっくりするようなロケットファミリィのお写真をありがとう。
揺れてばかりいて、心配ごとも多いでしょうに、こうして宇宙への夢を広げてみせてくれる中川さんに、拍手、拍手です。
孫たちがもうすこし大きくなったら、きっと,お訪ねしますからね。

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年4月17日 (日) 04時14分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 巨大な目:

« 土星 | トップページ | H-II »