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2011年3月27日 (日)

  昨日(26日)は,食事などのお世話をするため,先日観望会を実施した避難所に泊まり込み.
  夜は快晴.
  せっかくなので,夕食のお世話が終わった後,また観望会を実施した.先日の観望会では途中で曇ってしまったので,再度挑戦というわけだ.今回は,なんとか土星を見てもらおうということで,少し開始時刻を遅らせてみた.

  参加されたのは15名ほど.前回参加された方が多かった.
  シリウスを見たり,カストルを見たり,オリオン大星雲を見たり,星座の紹介をしたり,そしてもちろん土星も(あいにく,シンチレーションが悪く,イマイチ良く見えなかったが).

  2回目ということもあって,今回も会話がはずんだ.しばし楽しい会話をした後,参加者の一人がこうおっしゃった.
「いやぁ,こうして眺めていると,地上のゴタゴタなんて忘れちゃうねぇ」
・・・そう思って頂けたなら,来た甲斐があります.
「ホント,私たちのために2度も来て頂いて嬉しいです.でも,2度あることは3度も?」
・・・む,ここでも私は「いじられキャラ」ですか?でも,そう思って頂けるなら,3度と言わず,何度でも来ますよ.
年配の女性の方は,
「こりゃまだまだ星になるわけに行かないねぇ.眺めているだけでいいわ」
・・・そうです,まだまだですよ!

「さて,今日はこのへんにしましょうか.また来ますから」
ということでお開きとなったのだが・・・なんと,皆さんから握手を求められた.この仕事を初めて十余年,こんな経験は初めてだ.
  こういう状況の中での観望会は,実施する側にも不安がつきまとう.被災された方の心の傷は,第三者の私からは見えない.なにか一つ間違えば,その傷に塩を塗ってしまうことになりかねない.「好意の押し売り」は悪意より始末が悪い.参加されなかった方の中には,そんな風に思った方もいたのではないだろうか・・・でも,参加された方々は,私が伝えたいと思っていたこと,ぜーんぶくみとって下さったんですねぇ・・・心の底から嬉しいです.
  辛い生活をされている方々を,なんとか元気づけられないかと思って観望会を実施したのだが,逆に元気づけられたのは私の方じゃないか.皆さんと握手をしている間,涙をこらえて笑顔をつくるのに精一杯だった.

  片付けを終えた後,避難所となっている施設の事務室でしばし待機.仮眠所となっている医務室のベッドに潜り込んだのは午前3時過ぎだった.
  もう,涙はこらえられなかった.

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観望会」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。この震災時にどうなさっているのかと思い、「お気に入り」を開いてみました。お元気に呑気に活躍されているご様子、安心しました。人々の目が地上の悲惨にむいている今だからこそ、希望の星の便りが大切なのではありませんか。
ただ、能天気にも用心は必要で、暮らしの知恵で、炭で水の浄化をしたり、野草(どくだみ草)茶を飲んだりして、自己の保身を考えるべきです。梅干のおにぎりもいいようですよ。野菜を積極的に買おうというのは賛成できません。汚染は汚染で厳格であるべきです。指導者はどんなに用心しても用心しすぎることはないです。それが参加して星を見る楽しみを持った方への最低限のマナーです。もう少し、考えてみてくださいね。そして原子力のこと、もうすこし勉強してみてくださいね。わたしは孫二人持つ祖母として、未来のいのちのことをやっぱり心配します。おびえます。そして、わたしのこのおびえを信じます。安全という津波のようなことばの洪水よりも。
おびえながら、星を見たり、月をみたりします。では、また。観察会を続けて下さい。楽しみにしています。

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年3月28日 (月) 15時46分

鳥越様,コメント,そしてお気遣いありがとうございます.
ただ,東北産の野菜について,何も知らずに,政府の発表を鵜呑みにして「買おう」と書いているわけではありません.
地震発生当日,停電で暗い中,ラジオで福島原発のニュースを聞いた直後から,私なりに集められるだけの資料を集めました.中でも,放射線,および放射性物質の人体に与える影響については,医療の専門家が,事故以前に公開していたものにこだわって集めました.
客観的に見て,現状,放射性物質に関しては,政府の発表を信じてよいと判断しています.
「汚染に関して厳格であるべき」とのことですが,食物の汚染という観点では,ダイオキシン,窒素酸化物,有機スズ化合物,有機塩素系農薬等,他にもたくさんあります.市場に出回っている食物の多くは,それら汚染物質を含んでいますが,全て定められた安全基準以下であり,放射性物質に関しても,出荷・摂取制限がなされているもの以外は「暫定基準値」以下なのです.その中で,「放射性物質」だけを取り上げて安全だとか危険だとか判断することが,「汚染に関して厳格」と言えるのでしょうか?
「福島県産の野菜は放射性物質に汚染されているから危険」と考え,買い控えるのは,ただ単に福島の農家を見殺しにするだけと思います.

投稿: Y-Nakagawa | 2011年3月28日 (月) 16時57分

中川さま
わたしは奈良県に住んでいます。奈良県といっても金剛山・葛城山に連なる二上山の裾野です。昼間、お便りしたあとで、葛城山のふもとの大きな水車がごとごとまわる薬草園のお茶を、先にお届けしてからお便りするべきだったなあ、と猛反省しました。それで今あなたの住所をやっと発見しました。奈良は今回の地震のゆれは感じなかったのですが、被災の日からわが家ではおにぎりと夜9時からは一本の3,4センチの仏さんのろうそくの明かり暮らしをしていますので、こまかな文字がみえにくくて、てきぱきと住所をさがすことができなかったのです。
わたしは30年ほど前からドクダミ草<銀河草>とわたしはかってに名づけていますが、を摘んでは自分も愛飲し、友人たちにもすすめて、さしあげたりしています。
銀河草の絵も2,3枚描いていて、昨日の昼間は写真をとって、これから希望の銀河草の葉書を友人たちにおくる準備をしようとしているところです。なんと、
わたしは絵描きで詩人なので、いろいろな化学物質が複雑にラレツされても、実感としてわからないのです。科学記号とか数字とかは、わたしには形に見えてしまうので。2は白鳥さんで、3はぽんぽこたぬきさん、4はヨットの蝶々さん、といった具合なの。困ったもんじゃ。ですから、あなたが精密なデーターを調べたうえで、呑気なつぶやきをしているとはおもわなかったので、わたしのほうに誤解があります。ごめんなさいね。それにわたしの友人が原子力の仕事をしていて、みずから被曝しながら、いま奮闘しているので、よけいなことをもうしました。
あす、絵の用事があって、京都にでかけますから、2,3日中にドクダミの入ったほうじ茶をおとどけします。
少年、少女たちも、あなたの観察会に嬉しそうに参加なさっているご様子、みなさんにほっと一服していただければうれしいです。すこし時間をくださいね。関東以北にこちらからおとどけするのにはすこし時間がかかりそうですから。
わたしの孫たちが大きくなったら、いつか合宿に参加したいな、とお婆こころに思っています。1歳と4歳で、まだ星空には無理なようなので。せいぜいまんまるおつきさま、というところでしょうか。ではどのような美しい宝石を届けていただけるのか、また楽しみです。ちなみにわたしは還暦なのよ。まだ一年あるけれど。立派なくそ婆一年生です。

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年3月29日 (火) 01時22分

星天に賛す        山村暮鳥


まいばん、まいばん、
くもってさえいなければ
この星空だ
この星だ
頭顱(あたま)の上をみるがいい
めをあげて
ふりあおいで
泌々とみるがいい

誰の所有(もの)でもない
それでいて
万人のものである星……

無数の星はなにを語るか
それよりも
なによりも
これはまあ黄金(きん)の穀粒でもばらま いたようではないか

ひとびとよ
これをおもへ
なんという天の黙示であろう

ひとびとよ
自分達は農夫として
ただ蒔きさえすればよいのではないか
まかないものが刈取れるか
まかないものは刈取ってはならない

ひとびとよ
それだのにおおくのものは
まきもしないでかろうとするのだ
まかないものほど
刈ろうとする
かえりみなければならない

この星をみよ
この星によっておもうがいい
こう蒔くのだ
こうまくだけでいいのだ
このひろびろとしてはてなき大蒼穹
 (おおあおぞら)
このうつくしい神の畑よ
そこにまかれた永遠の種子よ

このすばらしさに跪座(ひざまづ)け
こうまくのだ
こうまくだけでいいのだ

ひとびとよ
あたふたと刈取ることばかり考えてはなら ない
そんなことはわすれてしまえ
そしてただまくことだけをおもうがいい

まけ
まけ
ただまくことだ
さかんにまけ
だれもかれももみなはれやかなこころをも って
銘銘のそのたましいの種子を蒔け

いのちの種子
のぞみの種子
愛の種子
縦横無人にまくがいい
そしてまいたらそのあとは大地のふところ にまかせるがいい
太陽の光や雨にまかせるがいい

収穫(とりいれ)などはおもわぬがいい
まいてさえおけば
おのづからとりいれは来るのだ
ただまけばいいまかぬところから
どうして、何があたえられるか
ただまけばいい
そのあとのすべてのことは見えない自然の 手の仕業だ

ひとびとよ
だが、いかに自然のその不可思議な力をも ってしても
まかぬものは
どうしようもないのだ
各自はそこで
各自のその偉大なつとめをおもはねばなら ない
ひとびとよ
ここに万物の始めがある
各自はそれをおもわねばならない
いや、そんなこともおもわぬがいい

おう、地上の美よ
そして真実よ
蒔かれるその一粒は
刈られるとき百粒である

愛よ
いのちよ
よろこびよ
すべては黄金(きん)の穀粒であれ
そしてまくものはただまくということをた
 のしめ
そこに生きよ

いかにも種子(たね)の
あるものは礫地(いしじ)に落ちよう
あるものは棘の中に
あるものは底ふかき水に
それだからとてまくことをやめてはならな い

ひとびとよ
自分達のまいたものが
一粒残らず滅びうせてもしまえばとて
みんな腐って枯れてしまえばとて
やっぱり、それでもまかねばならない

まけ
まけ
まくことに生きよう
その他のことはおもいおこすな

ただまけ
星のような種子であるそしてそれをまくところは
こうして天空(そら)のようなうつくしい 豊穣な大地の上である

ひとびとよ
まかれるときの一粒は
もことに、刈られるときの百粒である
一粒は一粒ではない
とはいえ
その一粒が地べたの中でくさらなければ
善い百粒はみのらないのだ
そこに各自の寂しさがある
だがまた、よろこびもそこにあるのだ

それは穀粒のことだが
その種子をまくおたがいもおなじである
おなじであっても
寂しいとつぶやいてはならない
その善い百粒のために
土深く
朽ちはてほろびる一粒をおもって

おう、父なる太陽
そして母なる大地
ひとびとよ
自分達こそまことの種子ではないのか
まけ
まけ
自分をまくのだ

新しい大きなものは明日である
しみじみと天高く
ひとびとよ一日の仕事につかれた手足を
ながながとのべてやすらうにさきだち
いま一ど
黄金(きん)の穀粒をばらまいたような
その無言の
さんらんたるもの
かずかぎりなき星を仰いでみようではない
 か


以上福島に縁の深い山村暮鳥の詩です。
わが家もわずかですが、畑をかりて野菜をつくっているので、福島の農場のかたの苦悩はひとごとではありません。
しかし汚染区域は病みはじめている。むごい現実のなかに大地も人も海も、万物が。
幼女のころ、わたしは岡山県の倉敷市の田んぼのなかで育ちました。二十歳のとき文学の勉強のために大阪に出てきましたが、コンクリートの街の暮らしは無理だとわかり、奈良県の比較的田舎でいまはくらしています.百姓の娘のわたしが、今どのように苦しんでいるか、どのように矛盾した考えのなかにいるか,わかってもらえれば幸いです。福島のお百姓さんのことはわたしにとっては、生産者、消費者というような流通にかかわることではなく、魂の生活のこでもあるのです。妄言多謝。

投稿: 鳥越ゆり子 | 2011年3月30日 (水) 06時59分

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